民主主義と財政赤字の関係について当たり前のことを少し。
いまやどこの先進諸国でも直面している財政赤字の問題。
財政赤字が常態化し、悪化の傾向が続いているのは、もちろん政治の責任もあるけど、結局は国民の全体責任。
赤字とは当たり前だけど、収入よりも支出が多い状態。
つまり国民が負担する税よりも、社会福祉に代表される国民の受益が多いことを意味している。
国民が身の丈よりも多くの利益を要求している結果とも言える。
民主主義では、何よりも国民の声が重要な訳だが、国民というのは基本的に個別最適(自分最適)だけを求めるもので、全体最適を考えて、主義主張する人は少ない。
選挙によって国民によって選ばれる政治家の本来の仕事は、全体最適の考慮しながら、意思決定していく必要があるけど、ほとんどの政治家は、特定の団体、特定の地域、特定の人などに益をもたらすことで、票を稼ぎ、当選することで、自分の政治家という立場を守っている。
昔の政治家は、必要もない道路やハコモノを地方に作り、公共事業によって地元にお金と仕事をおとすようにしてきたが、現代ではそれはさすがに批判の対象となり、公共事業は激減しているものの、基本的には得票につながらない、つまり国民に負担を強いるような政策はとりにくく、国民の人気取りに走るポピュリズムに陥りやすい状況は変わっていない。
それが民主主義といえばそうなのだが、結果として国民はなるべく税負担はしたくないし、これまでの既得権益を手放そうとしないから、低成長時代、少子高齢化社会では、税収が落ち込む一方で、財政支出が肥大化することになり、財政赤字は膨らむ一方になってしまっている。
これが、独裁国家なら国家元首の独断で国民の福祉などを考えずに何とでもできるから財政赤字などは起こるわけがないが、民主主義では個別最適を求める国民の声を聞けば聞くほど、財政赤字につながる結果となる。
民主主義はベストではないがベターな体制として世界に広がってきたが、衆愚政治にもなりやすい。
現代は個別最適を長年求めた結果としての歪みが、国全体、世界全体で表面化している時代。(財政赤字もそうだし、環境問題も然り)
理想は、人が自分の環境だけでなく大きな視点で物事を捉え、個別最適(自分最適)とともに全体最適を考慮するようになってくれればと思うが、自分自身を振り返っても、とても難しい。
そもそも、自分の生活が苦しく、明日どうなるかすらもわからないような人たちにとっては、全体最適なんか考える余裕もなく、全くどうでもいい話で、とにかく自分の生活がよくなるようにしか頭は向かない(自分最適)のは仕方ないことである。
しかも、こうした理想としての人の成長を待っている余裕は全くなく、状況は切羽詰まっている。
財政赤字の問題に戻せば、財政破綻による強制的な激痛を受忍するのか、それともそれを回避するためにの計画的な痛みを受けるのか、国民一人一人に問われている。
日本にとっても、今後数年間がキモとなることは間違いない。
財政赤字と民主主義
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